iPad評
2010年4月 3日 22:13 | コメント(0) | トラックバック(0)|
今週のTimeの記事を和訳してみました。iPadの記事をKindleで読むってなんかウケるね。筆者はスティーブン・フライという、ケンブリッジ卒で俳優・コメディアン・文筆・司会などをこなす元祖インテリ芸人みたいな人です。Alice in Wonderlandでチェシャ猫の声をやっているのも彼。予告編で「Thee, Alice?」て言ってる人ね。ニュアンスが訳しきれていないかもしれませんが、随所に表れるイングリッシュ・センスオブヒューモアをお楽しみください。原文はこちら。
On the Mothership Stephen Fry
----------------------------------------------------------------------------------------
私は気持ちのよい春の日に、この宇宙で最もクールな場所、1993年からアップルのヘッドクオーターがある、"カリフォルニア州 クパチーノ市 インフィニート ループ 1" にたどり着いた 。「キャンパス」と呼ばれるその場所は巨大なのだが、現在のアップルの成長規模には間に合わず、追加の建物が着工中だ。会社の売店で「I visited the mothership」(母艦に行ってきたよ)と書かれたTシャツをゲットしたあと(ファンというのは滑稽な生き物であることを白状しよう)、キャンティーンや芝生、公共の場所を見学させてもらった。キャンパスという表現はなかなか的を得ていると思う。ここにいる人は皆学生のような格好をしている。スーツを着てここにいる人は恐らく、見学に来た政治家だろう。
Phil Schiller と Eddie Cueはジーンズをはきこなし、リラックスした様子でiPadの話を聞きにきた私を迎えてくれた。このアップルの新製品は(訳者注:記事が書かれた地点で)あと一週間と半分で発売になる。Schillerはワールドワイド・プロダクトマーケティングのシニア・バイスプレジデントで、アップルの新製品を販売する責を負っている。Cueはインターネット・サービスのバイスプレジデントで、iTunesやApp store、iBook オンラインストアを監督している。
私はアップルの招待を受けて、iPadを試すためにここにいる、そしてのちほどSteve Jobsにインタビューする時間を1時間もらっている。彼ときちんと対面するのは初めてのことだ。だが、SchillerとCueと話しているうちに、iPadが発売されて晒されるであろう、ネガティブな意見についてJobsに訊くのはフェアではない気がしてきた。たとえばiPadの大きさは中途半端だ。持ち歩くには大きすぎるし、ちゃんとしたパソコンとしては小さすぎる。Adobe Flashを表示できない、マルチタスクができない、カメラがない。iPhone/iPod Touchがでかくなっただけじゃないか。しかし私の指摘するすべてを、アップルは解った上でやっているという。
「ネガティブな言い方をすることはできるよ」、とSchillerは言う。「そしてポジティブな言い方をすることもできる。『なんだ、デカいiPhoneじゃないか、だめだな』とも、『え、iPhoneがデカくなったの? すごい!』とも言えるよ。ラッキーなのは、既に何百万人もの人がiPhoneを持っているから、みんなに理解と親しみを持ってiPadに接してもらえるということだ。あとのことは機能の話じゃなくて、体験して解ってもらいたい。」
もちろん私はiPadを試したくてうずうずしているのだが、Cueはまず私をiBookアプリと、iBookオンラインストアに案内した。iPadがAmazonのKindleを追いやるのではないかという憶測が広がっている。出版社はアマゾンの厳しい価格規制にうんざりしているようだ。私はPenguin社の社長であるJohn MakinsonになぜiPadにそこまで魅力を感じるのか聞いてみた。「こちら側に主導権が戻り、どのように市場が動いているのか解るようになる」点だ、と彼は答えた。「iPadを見たときは、なにか奇跡のようでした、、これが出版の未来になるべきです。あなたもiPadを自分でさわってみればわかるでしょう。」「そうですね」、と私は答えた。「すぐにでも試したいです。」
デューク大学のTracy Futhey氏も同じように、iPadの教育分野での可能性に期待を寄せる。「iPadは文章とビデオ、コースの教材などを一つにまとめる革命をもたらすでしょう。とても期待しています。もう試されましたか?」と彼女は言う。「いえ、まだです」
そしてゲームだ。多くの人はゲームのプラットフォームとしてiPadを捉えるだろう。iPhone用のゲーム開発でもっとも成功した会社の一つ、GameLoftの創始者Michel Guillemotは誰よりも興奮した様子だ。「これはゲーム革命における4つめのステップだね。最初はマイクロコンピューター、次にコンソール、スマートフォン、そしてiPadだ。どう思う?」
「実際にやってみてから、お知らせしますよ」と私。
そう、もうすぐなのだ。私はiPadがどんなものか解っているつもりだった。私とアップル製品の付き合いは非常に長いのだ。
・どうやってコンピューターは楽しくなったのか
iPadのリリースを待ちわびる若い人は、アップル愛好家でいることがかつてどれほど大変なことだったかを知れば驚くかもしれない。
1984年、「銀河ヒッチハイク・ガイド」の著者、Douglas Adamsはイギリスで最初のアップルコンピューター所有者だった。二番目は私だ。光るグリーンのコマンドラインよさようなら、そしてマウスやアイコン、グラフィカルなデスクトップ、白いスクリーン、閉じられるウィンドウやローラーブラインドのようにプルダウンできるメニューが登場した。10年ほどの間、私はフロッピーディスクを手にDouglasのロンドンの家のドアベルを鳴らしたものだ。
「彼はいるかな?」と私が興奮気味に聞くと、ドアを開けてくれた奥さんのJaneは半ばあきれ顔、半ばおもしろそうに階段を指差してくれ、私はファイルを交換するために大急ぎでそれを駆け上るのだ。私たちは電車のセットを買ってもらった子供たちのようだった。おかしなことだ。コンピューターなんてものは楽しいものではないはずなのに、それは、本当に楽しかったのだ。Douglasと私は二週間をかけてデスクトップアイコンをデザインし直したことがある。どちらがうまくできたかをJaneに決めてもらおうとすると、彼女は知恵を働かせてどちらも一位にしてくれた。でなければどちらかがその先数週間落ち込む羽目になっただろう。私たちは本やスクリプトもMacで書いた。朝になって、ベッドから飛び起きるや否や起動せずにはいられないマシンは初めてだった。
当時、パソコンは実用的でビジネスのためのまじめな機能を搭載しているべきだ、と信じる人々はMacをおもちゃ、かっこつけの道具、あるいは実利に対するスタイルのうすっぺらな勝利とみなした。かれらはパソコンとは個人ではなく、IT技術者やSEが管理するものだと思っていたのだ。Windows 95がMacのようなグラフィカルなユーザーインターフェースを導入したことで、アップルはダメージを被った。1997には会社は危機に陥っていた。Douglasと私はPCユーザーから、「そのうち部品やアップグレードは、好き者の集まるアウトレットやメールオーダーでしか受け取れなくなるよ」と言われたものだ。専門家やビジネス誌の意見も同じだった。
でも結論を出すにはまだ早い。アメリカの企業の歴史のなかで、もっとも驚くべきことが起ころうとしていた。アップルの共同創始者である、"奇人" ・Steve JobsはMacの発売から約一年後に会社を首になった。追放に遭っている間に彼はPixarとNeXTを創始する。彼の1997年のアップルへの帰還と、 それに先立つアップルのNeXT買収はいまや伝説だろう。アップルに戻ったJobsは、デザイン部門でJonathan Iveという若いイギリス人を見つけ、面会を申し込んだ。一年間無視され、役不足の仕事を与えられていたIveは退職願をジーンズのポケットに忍ばせて面会に訪れた。面会が終わったとき、彼はその才能を開花させるべく使命を負っていた。
その結果がiMac、白とブルーの半透明のボディにすべてが収まったマシンだ。Iveの次の主な仕事はiPodと、iPhoneだった。アップルの負け犬からジャングルの猛獣への道がはじまったのだ。そして今、iPadがすでにどれほど私たちを魅了していることか。
・笑顔になるツール
iPad狂躁を逃した人のために説明すると、iPadはタッチスクリーン式のタブレットコンピューターで、9.7(=25cm)インチのディスプレイを搭載していて、重さは約1.5ポンド(=680g)だ。アップルにとって、この製品のローンチはある意味新しいことだ。iPhoneがリリースされた地点で、アップルはブラックベリー、ソニーエリクソン、パーム、ウィンドウズモバイルなどのビッグプレーヤーが独占していたスマートフォン市場に遅れをとって参入する負け組だった。しかし今回のiPadに関しては、初めて勝ち組になる。すでに反撃の空気はある。ブロガーやテック系の雑誌は手ぐすねをひいてiPadを攻撃しようとしている。アップルは大げさなんだ、これは何だ?誰がこんなものを必要とする? といったように。
デザイナーのIveにiPadに欠けている機能について尋ねてみた。「いろんな意味で、それらの機能を除外したことを、私たちは誇りに思っているんだ」と彼は言った。「私たちに取って一番大切なのは、ユーザーとコンテンツの間の垣根を限りなくゼロに近くなるまで取り払っていくことなんだ。」
そんなことを彼は言うべきではない。テック系のジャーナリストは、スペックと機能にしか興味がないのだ。これができる?あれは? 彼らにとってデバイスとは、機能の集積体なのだ。しかしそのような考え方はアップルのDNAにはない。iPadはもちろん期待されるいろいろなタスクを行える。アプリケーションを走らせたり、カレンダーになったり、メールやウェブ閲覧ができたり、書類を作成したり、音楽やビデオを再生したり、ゲームができたり。しかし私が実際にiPadを手にしたときに、それは道具という感じではなかった。どちらかといえば、奇妙に聞こえるかもしれないが、動物や人との関係性に近いものがあった。
でも考えてみてほしい。私たちは人間なのだ。私たちが初対面の人や物への反応は、計算ではなく感情によるものだ。Iveとそのチームが理解しているのは、何時間もポケットや手の中に収める物に対して、人は特別な感情を抱くということだ。アップルの成功は、私たちのこうした、人間的な側面に訴えるプロダクトに拠っている。ユーザーはアップルの製品によって笑顔になる。触って、なでて、スライドして、ひっぱって、つまんで、つついて、打つことによって。
それでも抵抗があるなら、iPadにはビジネスライクな要素が不足していて、薄っぺらいと感じるなら、あなたのための機能的な製品が市場にはあるだろう。でもちょっと考えてほしい。製品にまず喜び、細部、仕上がり、輝き、デザインを見ていくと、これはお金持ちのための高いおもちゃというよりは、すばらしく機能的なものと解るはずだ。もちろんAppストアにはばかばかしい見かけ倒しのアプリもある。しかし医学、軍事、工業の分野でまじめな、プロフェッショナルなアプリがどんどん登場している。Macと同じく、iPhoneが登場した時も、おもちゃと揶揄された。しかしiPhoneは競合が大慌てで彼らなりのタッチスクリーンとアップストアを開発しなければならない程、スマートフォンの分野そのものを変えてしまった。模倣を最も誠意のある賞賛とするならば、グーグルとマイクロソフトは過去二年で、まるでヒーローのようにアップルをほめ讃えた。iPadも同じように真似られるだろう。
「私たちは他社がなにをするか予測することはできません」Iveは言う。「私たちの仕事は、正しいと思うことに集中して、それを提供することです。」彼の集中力と完璧主義は伝説になっている。彼のするどんな話も、何時間もの作業と、細部が完璧になるまで決して満足しないことについてだ。彼はユーザーが絶対に気づかないような細部にこだわる。彼は自然でスムースなインタラクションを成り立たせるために行われた何千もの決断や発明について、ユーザーに意識しないでいてもらいたいのだ。「ユーザーに何も考えずに車の座席に放ったり、荷物に押し込んだりしてもらうための製品です。大事にデリケートに扱ってほしくないのです。もう試されましたか?」
「いえ、」と私は返事をする。「その前にお会いしなければいけない方が、、、」
・スティーブン、スティーブに会う
私は過去に、五人の英国首相、二人のアメリカ大統領、ネルソン・マンデラ、マイケル・ジャクソン、そして英国女王に会ってきた。Steve Jobsとの出会いは、そのどれよりもはるかに緊張した。何を思ってもいいけれど、それが事実なのだ。私はSteve Jobsを世界を変えたごく少数の偉大な発明家の一人と確信している。彼はショウマン、完璧主義の監督、先見者、情熱に満ちた運命論者のすべての要素を持っている。彼のデザイン、細部、完成度、品質、使いやすさへのこだわりはアップルの成功の大きな要因だ。Iveは静かでおだやかで目立たないが、Jobsは自信に満ちていて、オープンな性格だ。彼のカリスマ性を、Elmer Gantryに喩えて危険視する人すらいる。彼らにとってJobsのキーノート(基調演説)は「現実破壊磁場」だ。
私が彼に面会したとき、Jobsはかの黒いタートルネックを着て、Levi's 501のジーンズをはいていた。それを着ていてくれなかったら、私は「嘘つき!」とわめいたかもしれない。肝臓移植による体重の減少はなぜか私にWilliam Hurtのデリケートさを思わせた。私たちが面会したのはカンファレンス・ルームだった。すくなくとも1ダースのiMacが棚という棚に配置され、それぞれが家族のスライドショーを再生していた。Jobsは椅子の背にもたれ、足を机の上に置き、歓迎の笑みを浮かべていた。
私は緊張した状態で五分ほど質問をした。かれは忍耐強く聞きながら、笑顔で「Yes」とか、「No」とか言った。質問がなんだったかはもう覚えていない。レコーダーをオンにするのを忘れていたのだ。大慌てでレコーダーのスイッチを入れる。
ちょっとだけ落ち着いてから、私はiPadのローンチについて質問した。キーノートの中で彼は、「アップルは常に"リベラルアート"と"技術"が重なるところにいる」と発言した。でもそれだけではないのではないか?アップルは"リベラルアート"と"技術"と"商業"が重なるところにいるのでは? 「もちろん、商業的に意味のあることをしなくてはなりません。」Jobsは言う、「しかしそれは私たちの出発点ではありません。私たちの出発点は製品と、ユーザー体験なのです。iBookはもうご覧になりましたか?」彼は親切にiPadに入っている「熊のプーさん」のiBookを見せてくれた。それからケースをどうやって二通りのスタンドに変えるかも見せてくれた。「多くの人にとって、iPadの体験はすばらしいものになると思いますよ。本当に、純粋にすばらしい体験です。」なんだか聞き覚えがあった。「『これはあなたのためのデバイス』とおっしゃっていましたね。」と私は言った。「すべてを変えてしまうと。」Jobsがそれを引き取る。「どれほどこの体験がイマーシブかを知れば、どれほどダイレクトに操作できるかを知れば、もはや『マジカル』以外に説明の言葉はありません。」
この五年でJobsは二つの深刻な健康問題を乗り越えた。1997年のアップル社もそうだが、彼の死亡記事が用意されていた。「これは第三幕の終わりですか?」と私は尋ねる。「もしかしたら、キャリアの最高地点でアップルを去ることを考えていますか?」Jobsは答える、「私は自分の人生をキャリアとは捉えていません。私がなにかをする、私がなにかに反応するーそれはキャリアではなくて、人生そのものです」
彼が部屋を出てから、ついに私はiPadと二人きりになれた。やっとiPadを自分の手で試すことができる。スイッチを入れるとスクリーンが明るくなり、同時にロゴマークが消えた。10分後、アップルの広報スタッフにiPadを返すまいと、私は床を転げ回り、うなったり噛み付いたりした。
というのは嘘だけど、そのぐらいの気持ちにはなった。私はスムースな操作感や明るいスクリーン、イマーシブな体感については予測ができていた。しかしこれほど簡単にデバイスとの関係性が築けるとは思っていなかった。私はiPadなしでクパチーノを去ったが、その後自分用のものを一つ入手し、それからはどこへ行くにも一緒だ。
私のようにみんながiPadに夢中になるとは限らない。アプリやiBookを高すぎると感じる人もいるだろう。もうすこし様子を見て、さらに機能が充実したバージョンを買うかもしれない。しかし私にとってiPadはもはや、NRA(全米ライフル協会)のロビイストにとっての拳銃のような存在だ。私からそれを奪いたかったら、私を殺して、冷たくなったこの手からひきはがすがいい。
たった一つの憂鬱は、Douglas Adamsが「銀河ヒッチハイク・ガイド」の世界に最も近いデバイスを見ずに亡くなったことだ。
トラックバック(0)
このブログ記事を参照しているブログ一覧: iPad評
このブログ記事に対するトラックバックURL:
- Search
-
- Calendar
- Clock blog parts
- Tweet Watcher
- Categories
- Recent Entries
- Archives
- Comments
-
- TrackBacks
-
コメントする